親孝行
母親を伊東に迎え入れてから10日ほど経ちました。
嫁さんのお母さんとも何度も会って、楽しくおしゃべりしたり、

常連さんや仲間にも可愛がられ、

わざわざ浜松から来店して頂いた常連さんにも
『お母さんは今日いないの?会いたかった~』なんて言われ
親子共々、本当に幸せです。ありがとうございます。
それと同時にこの状況を受け入れてくれた嫁さんには
心から感謝してます。ありがとう。
そんなお袋。今じゃ、ウチで一番ソファーを占領しとりますw

今は毎日楽しいし幸せだ。ありがたい。と言ってくれてますが
長年住み慣れた福島の実家を引っ越す日に、
仲の良かった友人との別れを惜しんでる姿を見たら

『本当にこれで良かったのか?』『俺の選択は間違ってなかったのか?』
と色んな感情が込み上げ、伊東に向かう車の中で、お袋の横顔と
福島の最後の夕日を見たら、自然と涙がこぼれて来ました。

これまで全く親孝行などして来なかった俺。
先日頂いた連休を利用して、ずっと会ってなかったお袋の兄弟に会わせたり、
そのお袋が生まれ育った実家に連れて行く事にしました。
その前日には、関東に住むお袋の弟さんが、
お袋に会いにわざわざ伊東に来てくれました。

20年振りに再会して、2人とも凄く嬉しそうでした。

遠くから来てくれた弟さんが帰る時には「あれ?アンタ名前なんだっけ?」
と言い放ち「姉ちゃん!俺だよ!〇〇だよ!」って言われてたけどw

弟さん、姉のお袋に寿司までご馳走したのに(笑)
そして、次の日はいよいよお袋の生まれ故郷、長野県へ出発。

長野のお袋の生家に行く前に、途中、別のお袋の弟さんに会いに行きました。
再会した瞬間「もう会える事は無いと思ってた」と涙を流す弟さん。

30年ぶりに会ったそうです。連れて来て本当に良かった。
子供の頃は、無口で凄くおっかない親戚の叔父さんだったけど
行き帰りずっとお袋と手を繋いで歩くその姿を見たら、俺も涙が出ました。

昔話に花を咲かせ、2人とも楽しそうでした。

本当に良かった。
その場を後にし、お袋の生まれ故郷長野県を目指す俺ら。そして到着。
20年ぶりに、自分の産まれ育った生家を訪れたお袋。

今は空き家になってしまってますが、昔の思い出はまだ少し覚えてるようで
自分の旧姓の入った、大きな蔵を見て懐かしがってました。

俺もここに来るのは40年ぶり。凄く懐かしくて子供の頃の記憶が蘇りました。
小学生の頃、勝手にこのでかいトラクターを運転して道路を走っちゃって
親戚中には物凄く怒られたんだけど、じいちゃん・・・つまりお袋の父親には
「大人でも運転出来ないこの大きなトラクターを
子供のくせに運転出来るなんて大したもんだ!」と言って、小遣いもらったっけ。

小さい頃からイタズラ小僧だったんだねぇ~
つか、まだあったんだね、あのトラクター。
そして、最後はその生家のすぐ近くに住む、
お袋の一番仲良かった弟さんのお宅にお邪魔しました。

ここのお宅が物凄かった。チリひとつ落ちてない大きなお屋敷で、
窓の外には手入れの行き届いた立派な日本庭園が。

学校以外で“二宮金次郎”の銅像がある個人の家なんて初めて見ました。
まるで本当の高級旅館のようでした。
そして、テーブルの上には高級仕出し料理とお寿司が並ぶ、お昼ご飯。

こちらではお祝いの席に出されると言う、鯉の煮付けが凄く美味しかった。
これにはお袋も凄く嬉しそうでした。

もちろん俺達夫婦も。凄すぎてド肝抜かれました。
結納のお食事会みたいだった。そしてオレンジのファンタが可愛い。
そんな豪華な昼食の後は、その立派な日本庭園を散歩。

散歩の後は、なんと、違う部屋にお茶の準備がしてあるという。
これがまたただの“お茶”ではありませんでした。
高級なケーキや、長野の名物。そしてお袋の大好物が沢山並んでました。

姉の大好物を覚えててくれてたんですね。素晴らしい兄妹愛です。
そして、もっと凄かったのが、お昼ご飯の時に用意されてあった
急須も湯呑みも、お茶用に全部違うモノに変えてありました。

いやはや、この叔父さんのおもてなし精神はレベルが違いました。

凄すぎる。お腹一杯なのに「食えし!飲めし!」と信州弁でまくし立ててましたw
そんな叔父さんや、叔母さん。そしてお袋は
「良い思い出が出来た。武ちゃん、連れて来てくれて本当にありがとう」
なんて、言ってくれましたが、良い思い出が出来たのは俺の方です。

本当に本当にありがとうございました。
お土産も、一週間分ぐらいの量の食料や野菜。
そしてお菓子や飲み物を頂きましたw豪快過ぎます。
そんな夢のような時間はあっという間に過ぎ
25年ぶりの再会を果たした弟さんとも、またしばしのお別れ。

素晴らしい時間を過ごして、お袋の生まれ故郷を後にしました。
本当に俺は今まで親孝行らしい事は1つもして来なかった。
親父には親孝行するどころか、何も出来ないまま他界してしまった。
その時の後悔は、もうどんな事をしても取り戻せない。
この4・5月は、沢山お店を休んで何度も何度も福島に行き、
お袋を迎え入れる為に、何度もお店を休んでお客さんにも迷惑をかけました。
お袋を迎え入れる前も、迎え入れてからも、毎週のように遠出をして
ぶっちゃけ生活的にも苦しくなるし、体力的にも精神的にもキツイ時もありました。
だけど、良いんです。
もしかしたら、お袋は生まれ故郷に行ったり、
何十年ぶりに兄弟に会った事も、もう忘れてるかもしれない。
もしかしたら、この先、俺の事も忘れちゃう時が来るかもしれない。
でも、それでも良いんです。
その時のお袋は、一瞬一瞬は嬉しくて楽しいんだから。
そのお袋の笑顔を作る事が、俺の親孝行なんだから。
そのお袋は帰りの車の中でも、ずっと
『楽しかった』『夢のようだ』『こんなに幸せでいいのかな』
『ありがとう』『ごめんね』と繰り返してました。
こんな事ぐらいで、そんな風に言われるなんて、逆に恥ずかしい。
でも、こんな俺でも少しは親孝行出来たのかな?
帰りに寄った、お袋の子供の頃からの思い出の場所『諏訪湖』

そんな諏訪湖の夕日を見ながら、お袋はまた俺に
『楽しかった』『夢のようだ』『こんなに幸せでいいのかな』
『ありがとう』『ごめんね』を繰り返してました。

とんでもないよ。ずっと親不孝してきたから、そのつないだ手はもう離さないよ。
そして『ありがとう』『ごめんね』はこっちのセリフだよ。
今まで独りで頑張ってくれてありがとう。
今まで独りで頑張らせててごめんね。
もう一度言うよ。
何度でも言うね。
こんな面白い写真を提供してくれて、本当にありがとう。

その裏側まで撮らせてくれて、本当にありがとう。

俺、悪ぃ顔してて本当にゴメンね(笑)

嫁さんのお母さんとも何度も会って、楽しくおしゃべりしたり、

常連さんや仲間にも可愛がられ、

わざわざ浜松から来店して頂いた常連さんにも
『お母さんは今日いないの?会いたかった~』なんて言われ
親子共々、本当に幸せです。ありがとうございます。
それと同時にこの状況を受け入れてくれた嫁さんには
心から感謝してます。ありがとう。
そんなお袋。今じゃ、ウチで一番ソファーを占領しとりますw

今は毎日楽しいし幸せだ。ありがたい。と言ってくれてますが
長年住み慣れた福島の実家を引っ越す日に、
仲の良かった友人との別れを惜しんでる姿を見たら

『本当にこれで良かったのか?』『俺の選択は間違ってなかったのか?』
と色んな感情が込み上げ、伊東に向かう車の中で、お袋の横顔と
福島の最後の夕日を見たら、自然と涙がこぼれて来ました。

これまで全く親孝行などして来なかった俺。
先日頂いた連休を利用して、ずっと会ってなかったお袋の兄弟に会わせたり、
そのお袋が生まれ育った実家に連れて行く事にしました。
その前日には、関東に住むお袋の弟さんが、
お袋に会いにわざわざ伊東に来てくれました。

20年振りに再会して、2人とも凄く嬉しそうでした。

遠くから来てくれた弟さんが帰る時には「あれ?アンタ名前なんだっけ?」
と言い放ち「姉ちゃん!俺だよ!〇〇だよ!」って言われてたけどw

弟さん、姉のお袋に寿司までご馳走したのに(笑)
そして、次の日はいよいよお袋の生まれ故郷、長野県へ出発。

長野のお袋の生家に行く前に、途中、別のお袋の弟さんに会いに行きました。
再会した瞬間「もう会える事は無いと思ってた」と涙を流す弟さん。

30年ぶりに会ったそうです。連れて来て本当に良かった。
子供の頃は、無口で凄くおっかない親戚の叔父さんだったけど
行き帰りずっとお袋と手を繋いで歩くその姿を見たら、俺も涙が出ました。

昔話に花を咲かせ、2人とも楽しそうでした。

本当に良かった。
その場を後にし、お袋の生まれ故郷長野県を目指す俺ら。そして到着。
20年ぶりに、自分の産まれ育った生家を訪れたお袋。

今は空き家になってしまってますが、昔の思い出はまだ少し覚えてるようで
自分の旧姓の入った、大きな蔵を見て懐かしがってました。

俺もここに来るのは40年ぶり。凄く懐かしくて子供の頃の記憶が蘇りました。
小学生の頃、勝手にこのでかいトラクターを運転して道路を走っちゃって
親戚中には物凄く怒られたんだけど、じいちゃん・・・つまりお袋の父親には
「大人でも運転出来ないこの大きなトラクターを
子供のくせに運転出来るなんて大したもんだ!」と言って、小遣いもらったっけ。

小さい頃からイタズラ小僧だったんだねぇ~
つか、まだあったんだね、あのトラクター。
そして、最後はその生家のすぐ近くに住む、
お袋の一番仲良かった弟さんのお宅にお邪魔しました。

ここのお宅が物凄かった。チリひとつ落ちてない大きなお屋敷で、
窓の外には手入れの行き届いた立派な日本庭園が。

学校以外で“二宮金次郎”の銅像がある個人の家なんて初めて見ました。
まるで本当の高級旅館のようでした。
そして、テーブルの上には高級仕出し料理とお寿司が並ぶ、お昼ご飯。

こちらではお祝いの席に出されると言う、鯉の煮付けが凄く美味しかった。
これにはお袋も凄く嬉しそうでした。

もちろん俺達夫婦も。凄すぎてド肝抜かれました。
結納のお食事会みたいだった。そしてオレンジのファンタが可愛い。
そんな豪華な昼食の後は、その立派な日本庭園を散歩。

散歩の後は、なんと、違う部屋にお茶の準備がしてあるという。
これがまたただの“お茶”ではありませんでした。
高級なケーキや、長野の名物。そしてお袋の大好物が沢山並んでました。

姉の大好物を覚えててくれてたんですね。素晴らしい兄妹愛です。
そして、もっと凄かったのが、お昼ご飯の時に用意されてあった
急須も湯呑みも、お茶用に全部違うモノに変えてありました。

いやはや、この叔父さんのおもてなし精神はレベルが違いました。

凄すぎる。お腹一杯なのに「食えし!飲めし!」と信州弁でまくし立ててましたw
そんな叔父さんや、叔母さん。そしてお袋は
「良い思い出が出来た。武ちゃん、連れて来てくれて本当にありがとう」
なんて、言ってくれましたが、良い思い出が出来たのは俺の方です。

本当に本当にありがとうございました。
お土産も、一週間分ぐらいの量の食料や野菜。
そしてお菓子や飲み物を頂きましたw豪快過ぎます。
そんな夢のような時間はあっという間に過ぎ
25年ぶりの再会を果たした弟さんとも、またしばしのお別れ。

素晴らしい時間を過ごして、お袋の生まれ故郷を後にしました。
本当に俺は今まで親孝行らしい事は1つもして来なかった。
親父には親孝行するどころか、何も出来ないまま他界してしまった。
その時の後悔は、もうどんな事をしても取り戻せない。
この4・5月は、沢山お店を休んで何度も何度も福島に行き、
お袋を迎え入れる為に、何度もお店を休んでお客さんにも迷惑をかけました。
お袋を迎え入れる前も、迎え入れてからも、毎週のように遠出をして
ぶっちゃけ生活的にも苦しくなるし、体力的にも精神的にもキツイ時もありました。
だけど、良いんです。
もしかしたら、お袋は生まれ故郷に行ったり、
何十年ぶりに兄弟に会った事も、もう忘れてるかもしれない。
もしかしたら、この先、俺の事も忘れちゃう時が来るかもしれない。
でも、それでも良いんです。
その時のお袋は、一瞬一瞬は嬉しくて楽しいんだから。
そのお袋の笑顔を作る事が、俺の親孝行なんだから。
そのお袋は帰りの車の中でも、ずっと
『楽しかった』『夢のようだ』『こんなに幸せでいいのかな』
『ありがとう』『ごめんね』と繰り返してました。
こんな事ぐらいで、そんな風に言われるなんて、逆に恥ずかしい。
でも、こんな俺でも少しは親孝行出来たのかな?
帰りに寄った、お袋の子供の頃からの思い出の場所『諏訪湖』

そんな諏訪湖の夕日を見ながら、お袋はまた俺に
『楽しかった』『夢のようだ』『こんなに幸せでいいのかな』
『ありがとう』『ごめんね』を繰り返してました。

とんでもないよ。ずっと親不孝してきたから、そのつないだ手はもう離さないよ。
そして『ありがとう』『ごめんね』はこっちのセリフだよ。
今まで独りで頑張ってくれてありがとう。
今まで独りで頑張らせててごめんね。
もう一度言うよ。
何度でも言うね。
こんな面白い写真を提供してくれて、本当にありがとう。

その裏側まで撮らせてくれて、本当にありがとう。

俺、悪ぃ顔してて本当にゴメンね(笑)

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Mr.Children 30th Anniversary Tour ~半世紀へのエントランス~
あのMr.Childrenが30周年を迎え、只今ツアーの真っ最中であります。

我らミスチル会のメンバーも、熾烈なチケット争奪戦に打ち勝ち、
メンバーほとんどが、その各会場のライブツアーに参戦しております。

トップバッターは、ともしん&やまちゃん。

場所は名古屋バンテリンドーム。

通常ですと、これから参戦するメンバーの為に
“席はこんな感じだよ”とか、“グッズ売り場の並びはこんな感じだよ”とか
そういった情報の写真をグループラインに投稿するのですが、この2人は違います。
全くライブに関係ない風景・・・

ともしんの食事のワンシーン・・・

そして誰も知らない野球選手の写真だけが送られて来ます。

そういうのいいから。
そんな名古屋2日目のライブに参戦したのは、チーム最年少。

名古屋在住の同級生とも合流し、最高の時間を共有したそうです。
名古屋の後は東京公演。
東京ドーム2日目ライブに参戦したのは、チーム会長。

このブログを読んでる方はご存知かと思いますが
会長はなかなかの天然ですからねー
ライブに行ける嬉しさから、朝からお酒を呑み続け
ライブの途中に何回もトイレに行って、大事な曲聞き逃しちゃったそうですw

夜は夜でライブ後に、呼び込みの兄ぃちゃんが頑張ってる姿に感動して
その呼び込みに着いて行って、エサのような【ポークソテー(780円)】が
提供される居酒屋に案内されたそうですよ(笑)

都内の呼び込みには、ついて行かないのが鉄則ですからね。
それでも会長の決まり文句『何事も経験です』と言って、
俺に電話して来てライブの感想を30分ぐらい話し倒してました。

その後は隣の席の知らないミスチルファンと、何故かミスチルの話ではなく
唐揚げの話を熱弁してたそうですw幼稚園児が盛り付けたようなサラダを前にして。
残るは俺らチーム武ぞう。
俺らは会長の参戦した前日に東京ドームに参戦して来ました。
その5月10日というのはなんと!Mr.Childrenの本当のデビュー日!
そんなとんでもない記念日当日にライブ参戦出来るなんて本当に奇跡!

最近までその日がデビュー日って知らなかったけどw
午前中に嫁さんと2人で伊東を出発。
東京に到着し、埼玉のルコと合流。

なんと、このルコとも3年振りの再会。
ライブ前から嫁さんもルコもそれに感激して涙ぐんでました。
予約していたグッズをルコに東京ドームに取りに行ってもらい
その間に、事前に調べてあった安い駐車場に車を停め、再度ルコと合流。

グッズは事前予約していたのにも関わらず
指定の時間に着くも受け取りまで1時間ほどかかりました。
当日のグッズ販売はエグイぐらいの並びで売り切れ続出。
伊東の人口ぐらい並んでたんじゃないかな。

そして都会は良いホテルじゃなきゃ駐車場は完備してません。
そして、東京ドームでコンサートや野球がある日は値段も高くなるし
何しろコインパーキングが空いてない。事前に予約して行く事をおすすめします。
怖い街だよ。東京は。
この日一番の2つの心配事を終え、まずは腹ごしらえ。
お腹減ってたので、近くにあった『つじ田』つけ麺

間違いのない安定の美味しさ。一流店はやっぱ凄い。
ランチの後は、東京のオシャレなカフェでお茶。

久々の東京だし、東京にしかないオサレなカフェかと思ったら
どこにでもある、ドトールでした。
そしてホテルにチェックイン。

朝からバタバタだったので、一旦ホテルで心と体を落ち着かせ、
身支度を整え、ライブ会場の東京ドームへ。

そこで今回のもう一人のメンバーSと合流。

Sとも3年ぶりの再会。元気そうで何より!
4人揃ったところで、いよいよ入場!

席もアリーナ後方だけど、まずまず。

でもアリーナの後ろの方だと、俺のような背の高い男なら良いけど
背の低い女子はスタンドの一階とかの方が良いと思う。
ドーム内も感染対策は徹底してました。
ミスチルオリジナル消毒液。


マスク必須はもちろん、アルコールの提供も無し。
発熱してる方は入場出来ません。
そしてライブ。ライブはもうね・・・最高だよね。
あの曲の方が良かった。あの曲が聞きたかった。そんな欲を言えばキリがない。
コロナの影響で今回は声を出すのは禁止。もちろん歌う事も禁止。
そんな初体験のライブだったけど、とにかく最高でした。
2年ぶりのライブという事も重なって、涙も沢山出ました。
そんな最高のライブを終え、まだまだ放心状態でしたが
ライブ後は、もう一つのお楽しみのお食事会。
ルコもSも、一緒に食事するどころか、会うのさえも久々だったらしく
全員、この日4人で呑めるのをライブ同様、本当に楽しみにしていました。
東京ドームから電車に乗って、ホテル近くの駅に到着し
予約してあった居酒屋に向かう俺ら。

そこでちょっとしたハプニング。
大都会東京は夜でも人が沢山歩いてて、人混みを避けようとしたら
俺の前に立っていた男性2人にぶつかってしまった俺。

俺が「すいません」と謝罪すると、その男性2人が
「痛ぇな、コノヤロー!」と声を荒げて俺に絡んできた。
その男性2人組に「謝ってんじゃねぇかよ!」とキレる俺。
その様子を見て「え?なに?なに?怖い」とルコとSと嫁さん。

その2人組と胸ぐらをつかみ合い、俺は殴り合い寸前に!!!!
すると、何故かその男性2人組が突然俺とのもみ合いをやめ、
ルコとSと嫁さんの元に歩み寄る!!
そうです!!!!
その男性2人組は俺がルコとSへのドッキリで仕込んだ、ともしん&やまちゃん!!!

はい。3年ぶりのルコとSへの俺からのテッテレーです(笑)

「え~~~~!!なんで~~~?」と、これには相当驚いてたルコとS。
それもそのはず。
夜の21時にドッキリの為だけに伊東から東京まで来ちゃうんだから。

というのはウソ。
実はともしんとやまちゃん、たまたま偶然この週は出張で東京にいたの。
それを知っていた俺が、これはチャンスだと思って、2人にドッキリを頼んだ。
ってわけ。ウチの嫁さんは仕掛け人ね。
さすが、ともしんとやまちゃん。
名古屋のライブの報告は下手っぴでも
ドッキリの腕前は相変わらずの一級品です。

ルコとSはネタばらしをしても、まだまだ驚きを隠せないでいました。
ちなみにミスチル会のメンバーにも内緒。
グループLINEに「10日の夜は東京に行けません」って
ともしんに投稿してもらってたからね。
今頃このブログ読んでビックリしてる事でしょう。会長もw
その後、ドッキリとライブの興奮冷めやらぬまま
やまちゃんの予約してくれてた居酒屋へ。そして乾杯。

このメンバーで呑むなんて本当に3年ぶり。
俺もともしんとやまちゃんと呑むのだって1年ぶりぐらい。
そりゃもう最高に楽しかったです。
腹がよじれるほど笑いました。
Sが終電で帰った後も、呑み足りなくて二次会。

二次会でも、アゴが外れるぐらい喋りました。あ。いや、笑いました(笑)
今回久々に東京に来て、ライブを観れて、いつもの仲間で呑めて、改めて思った。
今まで当たり前だった日常が、コロナという目に見えないモンスターのせいで
当たり前じゃなくなってる。エンターテイメントの世界も、俺達の日常も。
こんな事が続けば本当に世の中がおかしくなってしまうと思う。
ストレスを抱えて自殺者も増えるだろう。
時には、こういう日があって良いと思う。発散しなきゃいけないと思う。
誰もが問題を抱えてます。みんな人に言えない事を抱えてるんです。
時には思いっきり笑って、少しの間でもそれを忘れて楽しむ事が本当に大事だと思う。
もちろん感染対策はしっかりしながら。
そんな最高の夜に、仕掛け人のやまちゃんから、俺に逆ドッキリ的サプライズが!
やまちゃんが予約してくれてたお店が、なんと!!
字は違うけど『丈蔵(たけぞう)』という、
ウチの店と同じ名前の居酒屋だったんです!!

まさか東京にも“たけぞう”っていう名前の店があるなんて思わなかった!!
ミスチルがデビューした記念日に、俺達の記憶に残るようにと、
やまちゃんの粋な計らいで、ウチと同じ名前の居酒屋さんを予約してくれたんです!!
これにはウチの嫁さんも感動して涙してました。もちろん俺も。
でもな、やまちゃん・・・・
お前が予約してくれた店【丈蔵(たけぞう)】じゃなくて
【文蔵(ぶんぞう)】だから!!!(笑)

お前「アレ?アレ?」って言ってスマホで確認して焦ってたけど、

逆にどうやったら【文蔵(ぶんぞう)】ってお店に
「【丈蔵(たけぞう)】さんですか?」って予約出来るわけ?(笑)
ドッキリヘタクソかっ!

我らミスチル会のメンバーも、熾烈なチケット争奪戦に打ち勝ち、
メンバーほとんどが、その各会場のライブツアーに参戦しております。

トップバッターは、ともしん&やまちゃん。

場所は名古屋バンテリンドーム。

通常ですと、これから参戦するメンバーの為に
“席はこんな感じだよ”とか、“グッズ売り場の並びはこんな感じだよ”とか
そういった情報の写真をグループラインに投稿するのですが、この2人は違います。
全くライブに関係ない風景・・・

ともしんの食事のワンシーン・・・

そして誰も知らない野球選手の写真だけが送られて来ます。

そういうのいいから。
そんな名古屋2日目のライブに参戦したのは、チーム最年少。

名古屋在住の同級生とも合流し、最高の時間を共有したそうです。
名古屋の後は東京公演。
東京ドーム2日目ライブに参戦したのは、チーム会長。

このブログを読んでる方はご存知かと思いますが
会長はなかなかの天然ですからねー
ライブに行ける嬉しさから、朝からお酒を呑み続け
ライブの途中に何回もトイレに行って、大事な曲聞き逃しちゃったそうですw

夜は夜でライブ後に、呼び込みの兄ぃちゃんが頑張ってる姿に感動して
その呼び込みに着いて行って、エサのような【ポークソテー(780円)】が
提供される居酒屋に案内されたそうですよ(笑)

都内の呼び込みには、ついて行かないのが鉄則ですからね。
それでも会長の決まり文句『何事も経験です』と言って、
俺に電話して来てライブの感想を30分ぐらい話し倒してました。

その後は隣の席の知らないミスチルファンと、何故かミスチルの話ではなく
唐揚げの話を熱弁してたそうですw幼稚園児が盛り付けたようなサラダを前にして。
残るは俺らチーム武ぞう。
俺らは会長の参戦した前日に東京ドームに参戦して来ました。
その5月10日というのはなんと!Mr.Childrenの本当のデビュー日!
そんなとんでもない記念日当日にライブ参戦出来るなんて本当に奇跡!

最近までその日がデビュー日って知らなかったけどw
午前中に嫁さんと2人で伊東を出発。
東京に到着し、埼玉のルコと合流。

なんと、このルコとも3年振りの再会。
ライブ前から嫁さんもルコもそれに感激して涙ぐんでました。
予約していたグッズをルコに東京ドームに取りに行ってもらい
その間に、事前に調べてあった安い駐車場に車を停め、再度ルコと合流。

グッズは事前予約していたのにも関わらず
指定の時間に着くも受け取りまで1時間ほどかかりました。
当日のグッズ販売はエグイぐらいの並びで売り切れ続出。
伊東の人口ぐらい並んでたんじゃないかな。

そして都会は良いホテルじゃなきゃ駐車場は完備してません。
そして、東京ドームでコンサートや野球がある日は値段も高くなるし
何しろコインパーキングが空いてない。事前に予約して行く事をおすすめします。
怖い街だよ。東京は。
この日一番の2つの心配事を終え、まずは腹ごしらえ。
お腹減ってたので、近くにあった『つじ田』つけ麺

間違いのない安定の美味しさ。一流店はやっぱ凄い。
ランチの後は、東京のオシャレなカフェでお茶。

久々の東京だし、東京にしかないオサレなカフェかと思ったら
どこにでもある、ドトールでした。
そしてホテルにチェックイン。

朝からバタバタだったので、一旦ホテルで心と体を落ち着かせ、
身支度を整え、ライブ会場の東京ドームへ。

そこで今回のもう一人のメンバーSと合流。

Sとも3年ぶりの再会。元気そうで何より!
4人揃ったところで、いよいよ入場!

席もアリーナ後方だけど、まずまず。

でもアリーナの後ろの方だと、俺のような背の高い男なら良いけど
背の低い女子はスタンドの一階とかの方が良いと思う。
ドーム内も感染対策は徹底してました。
ミスチルオリジナル消毒液。


マスク必須はもちろん、アルコールの提供も無し。
発熱してる方は入場出来ません。
そしてライブ。ライブはもうね・・・最高だよね。
あの曲の方が良かった。あの曲が聞きたかった。そんな欲を言えばキリがない。
コロナの影響で今回は声を出すのは禁止。もちろん歌う事も禁止。
そんな初体験のライブだったけど、とにかく最高でした。
2年ぶりのライブという事も重なって、涙も沢山出ました。
そんな最高のライブを終え、まだまだ放心状態でしたが
ライブ後は、もう一つのお楽しみのお食事会。
ルコもSも、一緒に食事するどころか、会うのさえも久々だったらしく
全員、この日4人で呑めるのをライブ同様、本当に楽しみにしていました。
東京ドームから電車に乗って、ホテル近くの駅に到着し
予約してあった居酒屋に向かう俺ら。

そこでちょっとしたハプニング。
大都会東京は夜でも人が沢山歩いてて、人混みを避けようとしたら
俺の前に立っていた男性2人にぶつかってしまった俺。

俺が「すいません」と謝罪すると、その男性2人が
「痛ぇな、コノヤロー!」と声を荒げて俺に絡んできた。
その男性2人組に「謝ってんじゃねぇかよ!」とキレる俺。
その様子を見て「え?なに?なに?怖い」とルコとSと嫁さん。

その2人組と胸ぐらをつかみ合い、俺は殴り合い寸前に!!!!
すると、何故かその男性2人組が突然俺とのもみ合いをやめ、
ルコとSと嫁さんの元に歩み寄る!!
そうです!!!!
その男性2人組は俺がルコとSへのドッキリで仕込んだ、ともしん&やまちゃん!!!

はい。3年ぶりのルコとSへの俺からのテッテレーです(笑)

「え~~~~!!なんで~~~?」と、これには相当驚いてたルコとS。
それもそのはず。
夜の21時にドッキリの為だけに伊東から東京まで来ちゃうんだから。

というのはウソ。
実はともしんとやまちゃん、たまたま偶然この週は出張で東京にいたの。
それを知っていた俺が、これはチャンスだと思って、2人にドッキリを頼んだ。
ってわけ。ウチの嫁さんは仕掛け人ね。
さすが、ともしんとやまちゃん。
名古屋のライブの報告は下手っぴでも
ドッキリの腕前は相変わらずの一級品です。

ルコとSはネタばらしをしても、まだまだ驚きを隠せないでいました。
ちなみにミスチル会のメンバーにも内緒。
グループLINEに「10日の夜は東京に行けません」って
ともしんに投稿してもらってたからね。
今頃このブログ読んでビックリしてる事でしょう。会長もw
その後、ドッキリとライブの興奮冷めやらぬまま
やまちゃんの予約してくれてた居酒屋へ。そして乾杯。

このメンバーで呑むなんて本当に3年ぶり。
俺もともしんとやまちゃんと呑むのだって1年ぶりぐらい。
そりゃもう最高に楽しかったです。
腹がよじれるほど笑いました。
Sが終電で帰った後も、呑み足りなくて二次会。

二次会でも、アゴが外れるぐらい喋りました。あ。いや、笑いました(笑)
今回久々に東京に来て、ライブを観れて、いつもの仲間で呑めて、改めて思った。
今まで当たり前だった日常が、コロナという目に見えないモンスターのせいで
当たり前じゃなくなってる。エンターテイメントの世界も、俺達の日常も。
こんな事が続けば本当に世の中がおかしくなってしまうと思う。
ストレスを抱えて自殺者も増えるだろう。
時には、こういう日があって良いと思う。発散しなきゃいけないと思う。
誰もが問題を抱えてます。みんな人に言えない事を抱えてるんです。
時には思いっきり笑って、少しの間でもそれを忘れて楽しむ事が本当に大事だと思う。
もちろん感染対策はしっかりしながら。
そんな最高の夜に、仕掛け人のやまちゃんから、俺に逆ドッキリ的サプライズが!
やまちゃんが予約してくれてたお店が、なんと!!
字は違うけど『丈蔵(たけぞう)』という、
ウチの店と同じ名前の居酒屋だったんです!!

まさか東京にも“たけぞう”っていう名前の店があるなんて思わなかった!!
ミスチルがデビューした記念日に、俺達の記憶に残るようにと、
やまちゃんの粋な計らいで、ウチと同じ名前の居酒屋さんを予約してくれたんです!!
これにはウチの嫁さんも感動して涙してました。もちろん俺も。
でもな、やまちゃん・・・・
お前が予約してくれた店【丈蔵(たけぞう)】じゃなくて
【文蔵(ぶんぞう)】だから!!!(笑)

お前「アレ?アレ?」って言ってスマホで確認して焦ってたけど、

逆にどうやったら【文蔵(ぶんぞう)】ってお店に
「【丈蔵(たけぞう)】さんですか?」って予約出来るわけ?(笑)
ドッキリヘタクソかっ!
由来
GWは沢山のお客様のご来店、ありがとうございました。
そしてその代休の三連休、ありがとうございました。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、わたくしの実家は福島県にあります。
その実家で母親が一人暮らしをしていたのですが
高齢かつ、物忘れがかなり酷くなり、この度伊東に迎える事になりました。

実は4月も2週間に一度のペースで、母の様子を見に行ったり
色々な介護サービスを受けて生活してたのですが
体はさほど悪くないのですが、物忘れに関しては
もう1人で暮らせるレベルではありません。
SNSでもお伝えした通り、その準備などで5月は休みが多くなってしまいます。
ご迷惑をお掛けするとは思いますが、ご理解の程、よろしくお願い致します。

もっと早く一緒に暮らしてあげれば良かったのですが
母親の口癖の「子供に迷惑はかけたくない」という言葉に
今まで甘えてしまってました。
今まで散々迷惑や心配をかけて来たので、少しでも親孝行したいと思います。
まずは細川たかしに寄せてる髪形を可愛くカットしてもらおうかなw

![20170120-OHT1I50043-T[1]](https://blog-imgs-79.fc2.com/t/a/k/takezotakezo/20220512113656cdb.jpg)
さて。
わたくしの名前【武徳(たけのり)】
この名前は、そんなお袋に付けてもらった名前なんです。
子供の頃、親戚の叔父さんに
「お前の名前は武士の【武】に徳川家の【徳】って漢字だから、お前のお母さんは
『武士のように強く、徳川家のように天下を獲るような人間になって欲しい』
という想いでお前に【武徳】という名前を付けた。と言われ、そう思い続けていた俺。
そんな俺は小学生になって、学校で自分の名前の由来を発表するという授業があり、
先生に「親に由来を聞いて来なさい」と言われ、母親に初めて自分の名前の由来を聞いてみたんです。
すると、母親から予想もしてない答えが返って来ました。
母曰く、俺の名前の由来は、当時【武徳】という名前の大学教授がいて、
その方が新聞にコラムを連載していて、そのコラム読んだ当時の母親は
凄く感銘を受け、励まされ、勉強にもなったそうなんです。

あまりにもその大学教授が素晴らしく、そんな人間になって欲しい。
という願いからその方の名前を取って【武徳】と名付けたそう。
武士も徳川も全く関係ねぇ!
当時の俺は、そんな自分の名前の由来が本当に嫌で、
その自分のl名前の由来を発表する授業で
『武士のように強く、徳川家のように天下を獲るような人間になって欲しい』
という由来です。って、嘘ついてたもんw
今じゃ全くそんな事思わないし、自分の名前にもなんの感情もないけど
今でもたまに電話とかで自分の名前の漢字を説明する時は
『武士の【武】に徳川家の【徳】です』って言っちゃうって事は
今でも無意識に自分の名前の由来が嫌って事なのでしょうか?(笑)
そんな激動の5月。
その5月のGWに、以前出川のお面をかぶって登場した友人が
またしても帰郷して来ました。

その彼が「お前この前誕生日だったろ?これプレゼント」と言って
なんとフェラガモのプレゼントをくれました。

中身は出川の番組のビーサンだったけど。

特注だそうですよ。
すると、そんな彼がこう言う。
「お前、この前25周年だったよな?こっちはそのお祝いな」
そう言って、今度はルイ・ヴィトンのプレゼントを頂きました。

中身を見て、ビックリ!!
なんと!武ぞうオリジナルの前掛け!

いや~これは嬉しい。ヴィトンより嬉しい。
その前掛けを感激して眺めてる俺に
「その前掛けに書かれてる文字にはよ、全部意味があるからよ」と言って
前掛けに書かれてる文字を説明する書類を渡す友人。

一番上に書かれてる
【1997´S~自転車操業中】とは『創業から頑張ってます』という意味。
操業と創業をかけてるんだね。
そして向かって右側に書いてある【水滴石穿(すいてきせきせん)】とは
【雨垂れ石をも穿つ】つまり『小さな事でも長く続ければ大きな事を成し遂げる』
という意味。
左側には【誠心誠炒】『真心を持って炒める事に尽くす』
誠意の“意”が炒めるの“炒”になってて洒落てるねー
最後は一番下に英語で書かれている
【FIRST TAKE VIRTUE(ファースト テイク ヴァーチャー)】
VIRTUE(ヴァーチャー)というのは英語で『徳』って意味で
TAKE(テイク)を『武』と読ませ、TAKE VIRTUEで『武徳』
そして頭にFIRSTを入れてFIRST TAKE VIRTUEで
『最初に徳を掴む』って意味になってるんだって。
もう俺の名前の由来、これで良いじゃんね?(笑)
もう武士とか徳川とか大学教授とか言いません。
これからは誰かに名前の由来を聞かれたら
「FIRST TAKE VIRTUE・・・英語で“最初に徳を掴む”って意味で、武徳なんだ」
って言いますw
53になって名前の由来を変えた俺ですがw
実はこの前実家に行った時に、俺の名前の由来を、名付け親の母親に確認してたんです。
「なぁお袋。俺の名前は『武徳』っていう大学教授から取ったんだよな?」

すると細川たかし・・・いや、母親がこう答える。
「いや。アンタの名前は猪木さんから取ったの」

「え~~~~!!!猪木さんってあの猪木!!!???1.2.3.ダー!!の!?」

「そうよ」とお袋。
「いや、それは違うでしょ!だって大学教授って言ってたじゃん!!
その人アントニオ猪木とは完全に別人だし、猪木から取ったら
俺の名前、鈴木猪木じゃんよ!!もしくは鈴木アントニオになっちゃうよ!」
いや待てよ・・・もう覚えてないんだな、きっと。
それほど認知症が進んでるって事だよな。
今まで1人で頑張らせててゴメンな。
猪木だろうが大学教授だろうが、もう俺の名前の由来なんてどうでもいいよ。
これからはゆっくり安心して暮らしてくれよな。
え~・・・わたくしの名前の由来の大学教授。
その後、調べてみたら【猪木武徳】と言う方だそうです。

確かに猪木さんから取ってますねw
お袋!しっかりしてんだか、ボケてんだか分かんねぇな(笑)
そしてその代休の三連休、ありがとうございました。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、わたくしの実家は福島県にあります。
その実家で母親が一人暮らしをしていたのですが
高齢かつ、物忘れがかなり酷くなり、この度伊東に迎える事になりました。

実は4月も2週間に一度のペースで、母の様子を見に行ったり
色々な介護サービスを受けて生活してたのですが
体はさほど悪くないのですが、物忘れに関しては
もう1人で暮らせるレベルではありません。
SNSでもお伝えした通り、その準備などで5月は休みが多くなってしまいます。
ご迷惑をお掛けするとは思いますが、ご理解の程、よろしくお願い致します。

もっと早く一緒に暮らしてあげれば良かったのですが
母親の口癖の「子供に迷惑はかけたくない」という言葉に
今まで甘えてしまってました。
今まで散々迷惑や心配をかけて来たので、少しでも親孝行したいと思います。
まずは細川たかしに寄せてる髪形を可愛くカットしてもらおうかなw

![20170120-OHT1I50043-T[1]](https://blog-imgs-79.fc2.com/t/a/k/takezotakezo/20220512113656cdb.jpg)
さて。
わたくしの名前【武徳(たけのり)】
この名前は、そんなお袋に付けてもらった名前なんです。
子供の頃、親戚の叔父さんに
「お前の名前は武士の【武】に徳川家の【徳】って漢字だから、お前のお母さんは
『武士のように強く、徳川家のように天下を獲るような人間になって欲しい』
という想いでお前に【武徳】という名前を付けた。と言われ、そう思い続けていた俺。
そんな俺は小学生になって、学校で自分の名前の由来を発表するという授業があり、
先生に「親に由来を聞いて来なさい」と言われ、母親に初めて自分の名前の由来を聞いてみたんです。
すると、母親から予想もしてない答えが返って来ました。
母曰く、俺の名前の由来は、当時【武徳】という名前の大学教授がいて、
その方が新聞にコラムを連載していて、そのコラム読んだ当時の母親は
凄く感銘を受け、励まされ、勉強にもなったそうなんです。

あまりにもその大学教授が素晴らしく、そんな人間になって欲しい。
という願いからその方の名前を取って【武徳】と名付けたそう。
武士も徳川も全く関係ねぇ!
当時の俺は、そんな自分の名前の由来が本当に嫌で、
その自分のl名前の由来を発表する授業で
『武士のように強く、徳川家のように天下を獲るような人間になって欲しい』
という由来です。って、嘘ついてたもんw
今じゃ全くそんな事思わないし、自分の名前にもなんの感情もないけど
今でもたまに電話とかで自分の名前の漢字を説明する時は
『武士の【武】に徳川家の【徳】です』って言っちゃうって事は
今でも無意識に自分の名前の由来が嫌って事なのでしょうか?(笑)
そんな激動の5月。
その5月のGWに、以前出川のお面をかぶって登場した友人が
またしても帰郷して来ました。

その彼が「お前この前誕生日だったろ?これプレゼント」と言って
なんとフェラガモのプレゼントをくれました。

中身は出川の番組のビーサンだったけど。

特注だそうですよ。
すると、そんな彼がこう言う。
「お前、この前25周年だったよな?こっちはそのお祝いな」
そう言って、今度はルイ・ヴィトンのプレゼントを頂きました。

中身を見て、ビックリ!!
なんと!武ぞうオリジナルの前掛け!

いや~これは嬉しい。ヴィトンより嬉しい。
その前掛けを感激して眺めてる俺に
「その前掛けに書かれてる文字にはよ、全部意味があるからよ」と言って
前掛けに書かれてる文字を説明する書類を渡す友人。

一番上に書かれてる
【1997´S~自転車操業中】とは『創業から頑張ってます』という意味。
操業と創業をかけてるんだね。
そして向かって右側に書いてある【水滴石穿(すいてきせきせん)】とは
【雨垂れ石をも穿つ】つまり『小さな事でも長く続ければ大きな事を成し遂げる』
という意味。
左側には【誠心誠炒】『真心を持って炒める事に尽くす』
誠意の“意”が炒めるの“炒”になってて洒落てるねー
最後は一番下に英語で書かれている
【FIRST TAKE VIRTUE(ファースト テイク ヴァーチャー)】
VIRTUE(ヴァーチャー)というのは英語で『徳』って意味で
TAKE(テイク)を『武』と読ませ、TAKE VIRTUEで『武徳』
そして頭にFIRSTを入れてFIRST TAKE VIRTUEで
『最初に徳を掴む』って意味になってるんだって。
もう俺の名前の由来、これで良いじゃんね?(笑)
もう武士とか徳川とか大学教授とか言いません。
これからは誰かに名前の由来を聞かれたら
「FIRST TAKE VIRTUE・・・英語で“最初に徳を掴む”って意味で、武徳なんだ」
って言いますw
53になって名前の由来を変えた俺ですがw
実はこの前実家に行った時に、俺の名前の由来を、名付け親の母親に確認してたんです。
「なぁお袋。俺の名前は『武徳』っていう大学教授から取ったんだよな?」

すると細川たかし・・・いや、母親がこう答える。
「いや。アンタの名前は猪木さんから取ったの」

「え~~~~!!!猪木さんってあの猪木!!!???1.2.3.ダー!!の!?」

「そうよ」とお袋。
「いや、それは違うでしょ!だって大学教授って言ってたじゃん!!
その人アントニオ猪木とは完全に別人だし、猪木から取ったら
俺の名前、鈴木猪木じゃんよ!!もしくは鈴木アントニオになっちゃうよ!」
いや待てよ・・・もう覚えてないんだな、きっと。
それほど認知症が進んでるって事だよな。
今まで1人で頑張らせててゴメンな。
猪木だろうが大学教授だろうが、もう俺の名前の由来なんてどうでもいいよ。
これからはゆっくり安心して暮らしてくれよな。
え~・・・わたくしの名前の由来の大学教授。
その後、調べてみたら【猪木武徳】と言う方だそうです。

確かに猪木さんから取ってますねw
お袋!しっかりしてんだか、ボケてんだか分かんねぇな(笑)
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