ハードボイルド小説 『タイヤ』
俺の自宅がある伊東市から40キロほど離れた街、沼津市。
時間にすれば、自宅から車で一時間程かかる街だ。
俺は今、その沼津市で車を走らせていた。
その時、俺の乗る自家用車の左後方から擬音が。
信号で止まるとその音も止まる。
また走り出すと、またその音が鳴る。
気になったので、近くのショッピングモールの広い駐車場に車を停め
車から降りて、その音の正体を確認した。
「チッ・・・今日はツイてない日だ・・・」
俺の車の左後輪のタイヤがパンクしていた。

そのタイヤの表面に見事に釘が刺さっていた。

その釘を見て、この街に向かう途中
道路に落ちてた木っ端を踏んだような記憶が蘇ってきた。
『道路に釘付きの落下物なんて落としやがって』と、
その木っ端を落とした主に恨みを責任転嫁したかったが
それをよけれなかった自分の不注意を恨んだ。
これからの予定が大幅に狂う事を考えると
アクシデントに見舞われた時特有の、あの憂鬱感が首をもたげて来たが
嘆いても仕方がない。そのドス黒い感情に蓋をして、これからの事を考えた。
まずは、このパンクしたタイヤを何とかしなければならない。
車に搭載されている工具で車をジャッキアップして、
パンクしたタイヤをスペアタイヤに替える事にした。
若い頃は車や単車をカスタムするのが好きで
車をジャッキアップしてタイヤ交換する。何て事は良くやっていた。
言ってみれば、慣れたモンだった。
俺はスペアタイヤを取り出す為に車のトランクを開けた。
だがそこにあるはずのスペアタイヤが無かった。

その時、この車を購入した際の営業マンの言葉を思い出した。
『今時の車はスペアタイヤはオプション設定で、標準装備されてないんですよ』
そうだった。
俺は車の購入価格を抑える為、スペアタイヤのオプション選択をしなかったのだ。
あの時『スペアタイヤは付けといた方が良いすよ』と言ってくれなかった
営業マンにこの悔しさを責任転嫁したかったが
ケチってスペアタイヤをオプション購入しなかった自分を恨んだ。
その時、あの時の営業マンのある話を思い出した。
『何故、スペアタイヤがオプションになったのか?』
今時の車には、スペアタイヤの代わりに、かなり本格的な
『パンク修理キット』が標準装備されているのだと言う。
もちろん俺の車にもそれが標準装備されていた。

昨今の車のトレンドは、ラゲッジルームや車内の広さを確保する為に
スペアタイヤを装備するスペースを減らすのが主流だそうだ。
そんな話を思い出しながら、その『パンク修理キット』を使い
パンク修理をしようとした時に、1つの懸念が浮かんだ。

『自分でやる必要があるのか・・・?』
俺はあるロードサービス会社の会員になっている。
その他にも、自動車保険にも入っていて、その保険の特約で
修理・故障の場合はレッカーやレンタカーの手配も無料でしてもらえる。
これから自分の手で修理するのも、ロードサービスや保険屋に頼むのも
結局同じ位の時間がかかってしまうだろう。
それに、タイヤ交換は手慣れたものだが
使った事のない最新の『パンク修理キット』を使って
上手く自分で修理出来るかどうか不安だったというのも本音だ。
普段高い保険料や年会費を支払っているのだ。
こういう時こそ、利用しない手はない。
寒い中自分で修理するより、そちらの方が得策だと判断した。
俺はどちらの業者にするか少し思案して、保険屋ではなくロードサービスを呼び
パンク修理を依頼する事を選択した。もちろんその費用も無料だ。
幸い車を停めたのがショッピングモールの駐車場だったので
暖かいショッピングモールの中でロードサービスが来るのを待った。
程なくして、俺の車の前にロードサービスの作業車が到着した。

作業員の方が慣れた手順でパンク修理を始め

大した時間もかからず、そのパンク修理を終えた。

ロードサービスに依頼して本当に良かった。
やはりプロの仕事は手際も良かった。
自分で修理してたらこうは行かなかっただろう。
これで安心して、この後の予定をこなし、その後自宅まで帰れる。
ところがここでまたアクシデントが。
パンクした事にすぐに気付かず、そのパンクしたタイヤでかなり走ってしまった為
タイヤの状態があまり良くないと言う。
タイヤの空気が抜けた状態で走ってしまった事により、
タイヤの側面が削れてしまっているそう。

このタイヤの状態で、この後車で一時間かけ
伊東市の自宅まで戻るのは危険で推奨出来ない。との事。
悪い事というのは続くもので、空気の抜けた状態で走ってしまった事に加え
刺さった釘の角度が悪かったのが重なり、完璧には修理出来ず
少しではあるが、釘の刺さった部分から空気が漏れているという。

やっと差し込んだ、春の木漏れ日のような柔らかな感情から
先程までのドス黒い憂鬱感が、また顔を出した。
そのパンク修理をしてくれたロードサービスの方が言うには、
すぐにそのタイヤ交換をしなければいけない。と言う。
もしくは保険屋に連絡してレッカーで俺の車を伊東まで運び
俺自身は保険屋さんが用意したレンタカーで家まで戻るしかない。という事だった。
ただレンタカーを用意出来る時間がギリギリなので、
レンタカーを用意出来なかった場合は、電車で帰って頂くとの事だった。
保険屋に電話で確認した所、全く同じ答えが返って来た。
たかがパンクでとんだ大事になって来た。一時間程度なら大丈夫なのではないか。
色んな場所に責任転嫁したかったが、このバットシチュエーションを招いたのは
全て自分に原因があるんだ。と言い聞かせた。
選択肢は3つ。
どこかのお店でタイヤ交換をしてもらうか、
保険屋さんに連絡をして、車を伊東までレッカー移動してもらうか、
この状態のまま、伊東まで運転して帰るか。
俺はタイヤを交換してもらう事を選択した。何故なら、そのロードサービスの方が
『ウチと提携してるタイヤショップが近くにあって、かなり安い金額で
タイヤ交換をしてくれるので、そこに行ってみてはどうですか?』
と提案してくれたからだ。
そのロードサービスの方が、そのタイヤショップに連絡をしてくれて
タイヤ交換の金額の見積もりを聞いてくれた。
『工賃込みで2万3千円だそうです。
タイヤ一本だけでも交換してくれるそうです』
確かに相場より安い金額だった。
しかも『もっと安いタイヤもあるみたいですよ。
そのお店に行って色々聞いてみると良い』とも言ってくれた。
そしてそのロードサービスの方がこう付け加えた。
『すぐ近くに有名なカー用品店があるので、そこでも値段を聞いてみたらどうですか?』
つまり、安い方の店でタイヤ交換をすればいい。という事だった。
俺はそのロードサービスの方の提案に乗る事にした。
そして最後に
「そのタイヤショップを選んだ場合は、行けば分かるようにしてありますから
この電話番号に連絡してから行ってみて下さい」と言って
そのタイヤショップの電話番号が書いてあるメモをくれて、その場を去って行った。
パンク修理だけではなく、アフターケアまでしてくれて
頭の下がる思いだった。
早速俺は近くのカー用品店に出向いた。

保険屋さんも
『もしかしたら大手だからカー用品店の方が安いかもよ』と言っていた。
確かに入り口の看板に大きく『地域No.1の安さに挑戦!激安!タイヤ』と
ド派手な色使いと言葉遣いでタイヤの安さをアピールしている。

俺はこのカー用品店の会員になっている事もあり、期待で胸の奥が躍っているのが分かった。
車を駐車場に停め、女性店員に今までの経緯を伝え
パンク修理したタイヤを1本替えたい旨を伝えた。
すると
「いや、タイヤ1本だけ替えるというのはお勧め出来ません。
出来れば4本全部。最低でも2本は同時に替えないとダメだと思います」
とその女性店員。
「いや、さっきも言いましたが、ロードサービスの方にも言われた通り
パンク修理したタイヤだけを替えてもらいたいんです」
と俺。
「そうなると、ちょっと在庫がないんですよねぇ・・・え~・・・少々お待ちくださいね」
そう言って店舗内に消えて行く女性店員。
ロードサービスの方に聞いてもらったタイヤショップでは
もちろんタイヤ1本だけの交換も承ってくれた。
大手というのは「タイヤ1本だけの交換はお勧めしない」というマニュアルがあって、
2本一度に交換させて、売り上げを上げるという戦略なのだろうか?
若干の不信感を抱きながら、その女性店員が戻って来るのを待った。
そこに戻って来た女性店員が俺にこう言う
「調べたら在庫ありました。タイヤ1本だけでも交換出来ます。」
『は?さっきは在庫が無い。1本だけ交換するのは出来ないって
言い切ったじゃねぇか。だったら最初からあるって言えよ』
と言いたいのをぐっと堪え、そのタイヤ交換の金額を聞いた。
若干の不信感は残ったが、こちらの方が安いのであればこのお店にお願いしたい。
するとその女性店員がタイヤ1本交換の金額を提示して来た
「え~・・・工賃と古いタイヤの処分代も含めて、3万4千円になります」
『は~~~?さんまんよんせんえん!?相場より安いとは言え
ロードサービスが紹介してくれたタイヤショップの2万3千円でも結構な金額なのに
3万4千円?最初は出来ない。って言ってみたり、期待持たせてみたり
挙句の果てに寒い中、外で散々待たしておいて、さんまんよんせんえん!?
アホか!!誰が頼むかい!!会員だって辞めたんぞ!!』

と言いたいのをぐっと堪えて
「分かりました。結構です」とその女性店員に紳士的に伝えその場を立ち去り
すぐにロードサービスの紹介してくれた、あのタイヤショップに電話をかけた。
スマートフォンの向こうからは
「はい。タイヤショップ〇〇でございます」という愛想の良い男性の声が。
「わたくし、ロードサービスの方から紹介を受けた鈴木と申します。
先程タイヤの修理の件で連絡が行ってると思うのですが
これからそちらへタイヤ交換へ伺ってもよろしいでしょうか?
先程見積もってもらった金額(2万3千円)でお願いしたいです。」
すると
「え?2万3千円のタイヤですか?いや、そのタイヤだと
納品は二日後になってしまいます。今すぐ交換出来るタイヤとなると
お値段は2万5千円のタイヤになります」と電話の向こうの男性店員
「いや、ちょっと待って下さい。それじゃ話がさっきと違いますよ。
ロードサービスの方がさっきそちらに電話で確認して
確かに2万3千円と言ってましたし、行けば分かるようにしてあるとも言ってましたよ」
俺が電話口でそう伝えると
「いや。そう言われましても、2万3千円のタイヤはどうやっても
今日は在庫がないんです。どうしても今日中に交換するのであれば
2万5千円のタイヤになってしまいます」とその男性。
『なんやねんそれ!!!約束と違うやないかボケ!!!
お前らが2万3千円でいい。って言うから貴様の店選んだんやないかい!!
しかも、全然話通ってないし、ロードサービスのあのオッチャンがポンコツなのか、
お前がポンコツなのか知らんけど、後は電話だけすればいい。って言うから
それ信じて電話したのに、なんやこれ!!それじゃ詐欺やないかい!!』

と言いたいのをぐっと堪えて
「今すぐ近くにいるので、とりあえずお店に向かいますね」
とその男性店員に紳士的に伝え、俺はスマートファンを切った。
先程のカー用品店の対応に続き、頼りにしていた
タイヤショップの対応にも裏切られ、俺のイライラは頂点に達していた。
確かにこのアンラッキーな一日を招いてしまったのは、全て自分のせいだ。
だが、このタイヤショップとの話の食い違いに関しては、俺は一切悪くない。
あのロードサービスの方が間違った情報を俺に伝えたのか?
タイヤショップの店員が間違った情報を伝えたのか?
ロードサービスとタイヤショップの間の情報がそもそも間違っているのか?
何にせよ、タイヤショップに行ってみないと、その事実関係は解明しない。
モヤモヤとした黒い鉛のような不信感に胸の奥を支配されたまま
タイヤショップに到着した。

すると先程電話で対応してくれたであろう男性店員が
「先程お電話頂いた鈴木さんですね?」とすぐに駆け寄って来た。
先程の電話対応のせいで、若干不機嫌な態度で「はい。そうです」と返事をした。
するとその男性店員の口から、今回の話の食い違いの経緯が説明され始めた。
ロードサービスが電話で見積もり金額を聞いた店員さんは
今、俺の目の前で話してる店員さんと違う店員さんだった。
そのロードサービスの電話に対応した店員さんが、
ロードサービスに金額を間違えて伝えてしまい、
何も分からずに俺からの電話を出たこの店員さんが
ただ正式な金額を俺に伝えてくれたそう。
なのでロードサービスもこの店員さんも悪くないという事になる。
そして今俺の目の前で説明してくれてる、この店員さんは
誠意を込めて謝罪してくれ、対応もテキパキとしていて
とても好感が持てる方だった。
そんな店員さんにロードサービスが言っていた、あの件を聞いてみた。
「先程の電話で、もう少し安いタイヤもあるかもしれない。
と、ロードサービスから聞いたのですが、そういったタイヤってありますか?」
するとその店員さんが
「新品のタイヤは無いんですが、今日たまたま入って来た
状態の良い中古のタイヤならありますよ。ちょっと見てみますか?」
そう言って
中古タイヤの中から、俺の車に合う状態の良い中古タイヤを出して来てくれた。

そのタイヤは中国産のチープなタイヤとかではなく、れっきとした国産のタイヤで
パンクしてしまったタイヤより、ワンランク上のレベルのタイヤだった。
しかも中古とはいっても、ほぼ新品状態のタイヤだった。
そのタイヤを見て
「ちなみにこのタイヤのお値段はお幾らですか?」と聞いてみた。
「このタイヤで良ければ、全部込みで8800円で良いですよ」
8800円!!
思いもよらないアクシデントで、
この後25000円を支払う覚悟をしていたのに、それが8800円で済む。
俺は即決した。
そして早速タイヤ交換。
先程のロードサービス同様、やはり手際の良いプロの仕事は見ていて気持ちが良い。

大して待たされる事もなく、無事にタイヤ交換が終わった。
その後、その店員さんが交換したタイヤを見せてくれた。
タイヤの内部には、空気が抜けた状態で走ってしまったせいで
中のゴムが削れて、ゴムのカスが貯まっていた。

「この状態で、伊東まで帰るのはやはり危険でしたね。
すぐにタイヤを替えた判断は正しかったですよ」と言ってくれた。
「もっと早く気付けば、修理だけで済んだのに残念です。
でもこの手のパンクはゆっくり空気が抜けて行くから、
なかなか気付きにくいんですよね~」と商売っ気の抜きの、
お客様の立場に立った言葉もかけてくれた。
最初は完全に不信感を払拭する事が出来ず、不機嫌が表に出てしまっていたが、
この店員さんの誠意を持った対応と結果修理代が安く済んだ事で
最後はこのお店にお願いして本当に良かった。と思えた。
もし次にタイヤの事で問題が起きたら、またこのお店にお願いしようとも思った。
そう思いながらタイヤ交換料金8800円を支払う。
そして領収書を切ってもらった。
「領収書のお名前はどうなされますか?」と聞かれたので
「武士の“武”に、平仮名の“ぞう”で“武ぞう”でお願いします」と答えた。

するとその店員さんが驚いた様子で、俺と領収書を交互に見てこう言う。
「え!?武ぞうさんって、伊東のラーメン屋さんの武ぞうさんですか!?」
「え?あ・・はい。でもなんで俺の事知ってるんですか?」と俺。
「僕、ずっと前から武ぞうさんのツイッター、フォローしてるんです!!」
驚いたのはこっちの方だった。
そして、立て続けに
「最初にお店に入って来た時は、怒ってるみたいで凄い怖い人だと思ってました。
あの面白いブログとは別人みたいでしたよ~(笑)いつか食べに行きますね!」
穴があったら入りたいぐらい恥ずかしかった。
そしてそれは、お客側の立場から、お店側の立場に入れ替わった瞬間だった。
先程の不機嫌な態度とは一変して
「ありがとうござますぅ~楽しみにお待ちしていますね~」と
完全に商売人モードに切り替えて頭を下げて、そのお店を後にした。
そのタイヤショップを出た頃には、もうすっかり日も落ちて来て
目の前には綺麗な夕日が広がっていた。

その柔かな夕日の光を浴び、俺は静かに目を閉じた。
パンクという予期せぬアクシデントのおかげで、この日の予定は大幅に狂った。
だが最終的には、修理・交換の金額も抑えられ、新しいお客さんも増え、
結果的にはツイてたのかもしれない。たまにはこんな日も良いのではないか。
ただ一つ、領収書の名前を『鈴木』ではなく『武ぞう』で頼んでしまった以外は。
俺は車に乗り込み、ハンドルを握り
夕日に向かってアクセルを踏んだ。
完
時間にすれば、自宅から車で一時間程かかる街だ。
俺は今、その沼津市で車を走らせていた。
その時、俺の乗る自家用車の左後方から擬音が。
信号で止まるとその音も止まる。
また走り出すと、またその音が鳴る。
気になったので、近くのショッピングモールの広い駐車場に車を停め
車から降りて、その音の正体を確認した。
「チッ・・・今日はツイてない日だ・・・」
俺の車の左後輪のタイヤがパンクしていた。

そのタイヤの表面に見事に釘が刺さっていた。

その釘を見て、この街に向かう途中
道路に落ちてた木っ端を踏んだような記憶が蘇ってきた。
『道路に釘付きの落下物なんて落としやがって』と、
その木っ端を落とした主に恨みを責任転嫁したかったが
それをよけれなかった自分の不注意を恨んだ。
これからの予定が大幅に狂う事を考えると
アクシデントに見舞われた時特有の、あの憂鬱感が首をもたげて来たが
嘆いても仕方がない。そのドス黒い感情に蓋をして、これからの事を考えた。
まずは、このパンクしたタイヤを何とかしなければならない。
車に搭載されている工具で車をジャッキアップして、
パンクしたタイヤをスペアタイヤに替える事にした。
若い頃は車や単車をカスタムするのが好きで
車をジャッキアップしてタイヤ交換する。何て事は良くやっていた。
言ってみれば、慣れたモンだった。
俺はスペアタイヤを取り出す為に車のトランクを開けた。
だがそこにあるはずのスペアタイヤが無かった。

その時、この車を購入した際の営業マンの言葉を思い出した。
『今時の車はスペアタイヤはオプション設定で、標準装備されてないんですよ』
そうだった。
俺は車の購入価格を抑える為、スペアタイヤのオプション選択をしなかったのだ。
あの時『スペアタイヤは付けといた方が良いすよ』と言ってくれなかった
営業マンにこの悔しさを責任転嫁したかったが
ケチってスペアタイヤをオプション購入しなかった自分を恨んだ。
その時、あの時の営業マンのある話を思い出した。
『何故、スペアタイヤがオプションになったのか?』
今時の車には、スペアタイヤの代わりに、かなり本格的な
『パンク修理キット』が標準装備されているのだと言う。
もちろん俺の車にもそれが標準装備されていた。

昨今の車のトレンドは、ラゲッジルームや車内の広さを確保する為に
スペアタイヤを装備するスペースを減らすのが主流だそうだ。
そんな話を思い出しながら、その『パンク修理キット』を使い
パンク修理をしようとした時に、1つの懸念が浮かんだ。

『自分でやる必要があるのか・・・?』
俺はあるロードサービス会社の会員になっている。
その他にも、自動車保険にも入っていて、その保険の特約で
修理・故障の場合はレッカーやレンタカーの手配も無料でしてもらえる。
これから自分の手で修理するのも、ロードサービスや保険屋に頼むのも
結局同じ位の時間がかかってしまうだろう。
それに、タイヤ交換は手慣れたものだが
使った事のない最新の『パンク修理キット』を使って
上手く自分で修理出来るかどうか不安だったというのも本音だ。
普段高い保険料や年会費を支払っているのだ。
こういう時こそ、利用しない手はない。
寒い中自分で修理するより、そちらの方が得策だと判断した。
俺はどちらの業者にするか少し思案して、保険屋ではなくロードサービスを呼び
パンク修理を依頼する事を選択した。もちろんその費用も無料だ。
幸い車を停めたのがショッピングモールの駐車場だったので
暖かいショッピングモールの中でロードサービスが来るのを待った。
程なくして、俺の車の前にロードサービスの作業車が到着した。

作業員の方が慣れた手順でパンク修理を始め

大した時間もかからず、そのパンク修理を終えた。

ロードサービスに依頼して本当に良かった。
やはりプロの仕事は手際も良かった。
自分で修理してたらこうは行かなかっただろう。
これで安心して、この後の予定をこなし、その後自宅まで帰れる。
ところがここでまたアクシデントが。
パンクした事にすぐに気付かず、そのパンクしたタイヤでかなり走ってしまった為
タイヤの状態があまり良くないと言う。
タイヤの空気が抜けた状態で走ってしまった事により、
タイヤの側面が削れてしまっているそう。

このタイヤの状態で、この後車で一時間かけ
伊東市の自宅まで戻るのは危険で推奨出来ない。との事。
悪い事というのは続くもので、空気の抜けた状態で走ってしまった事に加え
刺さった釘の角度が悪かったのが重なり、完璧には修理出来ず
少しではあるが、釘の刺さった部分から空気が漏れているという。

やっと差し込んだ、春の木漏れ日のような柔らかな感情から
先程までのドス黒い憂鬱感が、また顔を出した。
そのパンク修理をしてくれたロードサービスの方が言うには、
すぐにそのタイヤ交換をしなければいけない。と言う。
もしくは保険屋に連絡してレッカーで俺の車を伊東まで運び
俺自身は保険屋さんが用意したレンタカーで家まで戻るしかない。という事だった。
ただレンタカーを用意出来る時間がギリギリなので、
レンタカーを用意出来なかった場合は、電車で帰って頂くとの事だった。
保険屋に電話で確認した所、全く同じ答えが返って来た。
たかがパンクでとんだ大事になって来た。一時間程度なら大丈夫なのではないか。
色んな場所に責任転嫁したかったが、このバットシチュエーションを招いたのは
全て自分に原因があるんだ。と言い聞かせた。
選択肢は3つ。
どこかのお店でタイヤ交換をしてもらうか、
保険屋さんに連絡をして、車を伊東までレッカー移動してもらうか、
この状態のまま、伊東まで運転して帰るか。
俺はタイヤを交換してもらう事を選択した。何故なら、そのロードサービスの方が
『ウチと提携してるタイヤショップが近くにあって、かなり安い金額で
タイヤ交換をしてくれるので、そこに行ってみてはどうですか?』
と提案してくれたからだ。
そのロードサービスの方が、そのタイヤショップに連絡をしてくれて
タイヤ交換の金額の見積もりを聞いてくれた。
『工賃込みで2万3千円だそうです。
タイヤ一本だけでも交換してくれるそうです』
確かに相場より安い金額だった。
しかも『もっと安いタイヤもあるみたいですよ。
そのお店に行って色々聞いてみると良い』とも言ってくれた。
そしてそのロードサービスの方がこう付け加えた。
『すぐ近くに有名なカー用品店があるので、そこでも値段を聞いてみたらどうですか?』
つまり、安い方の店でタイヤ交換をすればいい。という事だった。
俺はそのロードサービスの方の提案に乗る事にした。
そして最後に
「そのタイヤショップを選んだ場合は、行けば分かるようにしてありますから
この電話番号に連絡してから行ってみて下さい」と言って
そのタイヤショップの電話番号が書いてあるメモをくれて、その場を去って行った。
パンク修理だけではなく、アフターケアまでしてくれて
頭の下がる思いだった。
早速俺は近くのカー用品店に出向いた。

保険屋さんも
『もしかしたら大手だからカー用品店の方が安いかもよ』と言っていた。
確かに入り口の看板に大きく『地域No.1の安さに挑戦!激安!タイヤ』と
ド派手な色使いと言葉遣いでタイヤの安さをアピールしている。

俺はこのカー用品店の会員になっている事もあり、期待で胸の奥が躍っているのが分かった。
車を駐車場に停め、女性店員に今までの経緯を伝え
パンク修理したタイヤを1本替えたい旨を伝えた。
すると
「いや、タイヤ1本だけ替えるというのはお勧め出来ません。
出来れば4本全部。最低でも2本は同時に替えないとダメだと思います」
とその女性店員。
「いや、さっきも言いましたが、ロードサービスの方にも言われた通り
パンク修理したタイヤだけを替えてもらいたいんです」
と俺。
「そうなると、ちょっと在庫がないんですよねぇ・・・え~・・・少々お待ちくださいね」
そう言って店舗内に消えて行く女性店員。
ロードサービスの方に聞いてもらったタイヤショップでは
もちろんタイヤ1本だけの交換も承ってくれた。
大手というのは「タイヤ1本だけの交換はお勧めしない」というマニュアルがあって、
2本一度に交換させて、売り上げを上げるという戦略なのだろうか?
若干の不信感を抱きながら、その女性店員が戻って来るのを待った。
そこに戻って来た女性店員が俺にこう言う
「調べたら在庫ありました。タイヤ1本だけでも交換出来ます。」
『は?さっきは在庫が無い。1本だけ交換するのは出来ないって
言い切ったじゃねぇか。だったら最初からあるって言えよ』
と言いたいのをぐっと堪え、そのタイヤ交換の金額を聞いた。
若干の不信感は残ったが、こちらの方が安いのであればこのお店にお願いしたい。
するとその女性店員がタイヤ1本交換の金額を提示して来た
「え~・・・工賃と古いタイヤの処分代も含めて、3万4千円になります」
『は~~~?さんまんよんせんえん!?相場より安いとは言え
ロードサービスが紹介してくれたタイヤショップの2万3千円でも結構な金額なのに
3万4千円?最初は出来ない。って言ってみたり、期待持たせてみたり
挙句の果てに寒い中、外で散々待たしておいて、さんまんよんせんえん!?
アホか!!誰が頼むかい!!会員だって辞めたんぞ!!』

と言いたいのをぐっと堪えて
「分かりました。結構です」とその女性店員に紳士的に伝えその場を立ち去り
すぐにロードサービスの紹介してくれた、あのタイヤショップに電話をかけた。
スマートフォンの向こうからは
「はい。タイヤショップ〇〇でございます」という愛想の良い男性の声が。
「わたくし、ロードサービスの方から紹介を受けた鈴木と申します。
先程タイヤの修理の件で連絡が行ってると思うのですが
これからそちらへタイヤ交換へ伺ってもよろしいでしょうか?
先程見積もってもらった金額(2万3千円)でお願いしたいです。」
すると
「え?2万3千円のタイヤですか?いや、そのタイヤだと
納品は二日後になってしまいます。今すぐ交換出来るタイヤとなると
お値段は2万5千円のタイヤになります」と電話の向こうの男性店員
「いや、ちょっと待って下さい。それじゃ話がさっきと違いますよ。
ロードサービスの方がさっきそちらに電話で確認して
確かに2万3千円と言ってましたし、行けば分かるようにしてあるとも言ってましたよ」
俺が電話口でそう伝えると
「いや。そう言われましても、2万3千円のタイヤはどうやっても
今日は在庫がないんです。どうしても今日中に交換するのであれば
2万5千円のタイヤになってしまいます」とその男性。
『なんやねんそれ!!!約束と違うやないかボケ!!!
お前らが2万3千円でいい。って言うから貴様の店選んだんやないかい!!
しかも、全然話通ってないし、ロードサービスのあのオッチャンがポンコツなのか、
お前がポンコツなのか知らんけど、後は電話だけすればいい。って言うから
それ信じて電話したのに、なんやこれ!!それじゃ詐欺やないかい!!』

と言いたいのをぐっと堪えて
「今すぐ近くにいるので、とりあえずお店に向かいますね」
とその男性店員に紳士的に伝え、俺はスマートファンを切った。
先程のカー用品店の対応に続き、頼りにしていた
タイヤショップの対応にも裏切られ、俺のイライラは頂点に達していた。
確かにこのアンラッキーな一日を招いてしまったのは、全て自分のせいだ。
だが、このタイヤショップとの話の食い違いに関しては、俺は一切悪くない。
あのロードサービスの方が間違った情報を俺に伝えたのか?
タイヤショップの店員が間違った情報を伝えたのか?
ロードサービスとタイヤショップの間の情報がそもそも間違っているのか?
何にせよ、タイヤショップに行ってみないと、その事実関係は解明しない。
モヤモヤとした黒い鉛のような不信感に胸の奥を支配されたまま
タイヤショップに到着した。

すると先程電話で対応してくれたであろう男性店員が
「先程お電話頂いた鈴木さんですね?」とすぐに駆け寄って来た。
先程の電話対応のせいで、若干不機嫌な態度で「はい。そうです」と返事をした。
するとその男性店員の口から、今回の話の食い違いの経緯が説明され始めた。
ロードサービスが電話で見積もり金額を聞いた店員さんは
今、俺の目の前で話してる店員さんと違う店員さんだった。
そのロードサービスの電話に対応した店員さんが、
ロードサービスに金額を間違えて伝えてしまい、
何も分からずに俺からの電話を出たこの店員さんが
ただ正式な金額を俺に伝えてくれたそう。
なのでロードサービスもこの店員さんも悪くないという事になる。
そして今俺の目の前で説明してくれてる、この店員さんは
誠意を込めて謝罪してくれ、対応もテキパキとしていて
とても好感が持てる方だった。
そんな店員さんにロードサービスが言っていた、あの件を聞いてみた。
「先程の電話で、もう少し安いタイヤもあるかもしれない。
と、ロードサービスから聞いたのですが、そういったタイヤってありますか?」
するとその店員さんが
「新品のタイヤは無いんですが、今日たまたま入って来た
状態の良い中古のタイヤならありますよ。ちょっと見てみますか?」
そう言って
中古タイヤの中から、俺の車に合う状態の良い中古タイヤを出して来てくれた。

そのタイヤは中国産のチープなタイヤとかではなく、れっきとした国産のタイヤで
パンクしてしまったタイヤより、ワンランク上のレベルのタイヤだった。
しかも中古とはいっても、ほぼ新品状態のタイヤだった。
そのタイヤを見て
「ちなみにこのタイヤのお値段はお幾らですか?」と聞いてみた。
「このタイヤで良ければ、全部込みで8800円で良いですよ」
8800円!!
思いもよらないアクシデントで、
この後25000円を支払う覚悟をしていたのに、それが8800円で済む。
俺は即決した。
そして早速タイヤ交換。
先程のロードサービス同様、やはり手際の良いプロの仕事は見ていて気持ちが良い。

大して待たされる事もなく、無事にタイヤ交換が終わった。
その後、その店員さんが交換したタイヤを見せてくれた。
タイヤの内部には、空気が抜けた状態で走ってしまったせいで
中のゴムが削れて、ゴムのカスが貯まっていた。

「この状態で、伊東まで帰るのはやはり危険でしたね。
すぐにタイヤを替えた判断は正しかったですよ」と言ってくれた。
「もっと早く気付けば、修理だけで済んだのに残念です。
でもこの手のパンクはゆっくり空気が抜けて行くから、
なかなか気付きにくいんですよね~」と商売っ気の抜きの、
お客様の立場に立った言葉もかけてくれた。
最初は完全に不信感を払拭する事が出来ず、不機嫌が表に出てしまっていたが、
この店員さんの誠意を持った対応と結果修理代が安く済んだ事で
最後はこのお店にお願いして本当に良かった。と思えた。
もし次にタイヤの事で問題が起きたら、またこのお店にお願いしようとも思った。
そう思いながらタイヤ交換料金8800円を支払う。
そして領収書を切ってもらった。
「領収書のお名前はどうなされますか?」と聞かれたので
「武士の“武”に、平仮名の“ぞう”で“武ぞう”でお願いします」と答えた。

するとその店員さんが驚いた様子で、俺と領収書を交互に見てこう言う。
「え!?武ぞうさんって、伊東のラーメン屋さんの武ぞうさんですか!?」
「え?あ・・はい。でもなんで俺の事知ってるんですか?」と俺。
「僕、ずっと前から武ぞうさんのツイッター、フォローしてるんです!!」
驚いたのはこっちの方だった。
そして、立て続けに
「最初にお店に入って来た時は、怒ってるみたいで凄い怖い人だと思ってました。
あの面白いブログとは別人みたいでしたよ~(笑)いつか食べに行きますね!」
穴があったら入りたいぐらい恥ずかしかった。
そしてそれは、お客側の立場から、お店側の立場に入れ替わった瞬間だった。
先程の不機嫌な態度とは一変して
「ありがとうござますぅ~楽しみにお待ちしていますね~」と
完全に商売人モードに切り替えて頭を下げて、そのお店を後にした。
そのタイヤショップを出た頃には、もうすっかり日も落ちて来て
目の前には綺麗な夕日が広がっていた。

その柔かな夕日の光を浴び、俺は静かに目を閉じた。
パンクという予期せぬアクシデントのおかげで、この日の予定は大幅に狂った。
だが最終的には、修理・交換の金額も抑えられ、新しいお客さんも増え、
結果的にはツイてたのかもしれない。たまにはこんな日も良いのではないか。
ただ一つ、領収書の名前を『鈴木』ではなく『武ぞう』で頼んでしまった以外は。
俺は車に乗り込み、ハンドルを握り
夕日に向かってアクセルを踏んだ。
完
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿