こういう人、大っ嫌い。
最近、元有名アイドルグループのラーメン店主が、
ラーメン評論家を出禁にして裁判沙汰まで発展したとか、
有名ラーメン店がユーチューバーを出禁にした。とかのニュースが世を騒がしてます。
日本には『ラーメンは身近な国民食』『ラーメンは庶民の食べ物』というイメージが
根強く定着してるせいか、世のラーメンを取り巻く環境には
『ラーメン評論家』『ラヲタ』『ブロガー』そして最近では『ユーチューバー』など
色んな種類のお客さんがいます。
こういった方々はインターネットが普及した頃に産まれましたよね。
ラーメンを食べて、写真を撮って、それを情報としてインターネットで
全世界に発信する。今やもう当たり前ですよね。俺の周りにも沢山います。
でも俺ら店側はそんなSNSやブログなんて普及する前から商売してますからね、
最初はなかなかそういった文化に慣れずに、大小問わず、
そういった方々とトラブルになる事もありました。
自分の食べたラーメンを『まずい』と言って、SNSで全世界に投稿する。
『ここがダメ』『あそこがダメ』と自分だけの意見をブログで述べて全世界に投稿する。
従業員やお客さんの顔が写ってる写真を、全世界にそのまま投稿する。
満席の店内で突然アポ無しで来店して、ボソっと「ユーチューブです」
とだけ言って、許可もなく動画を撮影するユーチューバー。
俺が商売始めた23年前には、想像もできない世界になってしまいました。
その行為が『非常識な事』っだって、まだ認識出来てないんでしょうね。
そもそも『美味しいラーメン』の定義ってなんなんスかね?
『不味いラーメン』の定義ってなんなんスかね?
「あそこのラーメン屋美味いよ」「いやいや、あそこは不味い」
そういった会話は日常茶飯事。それはいい。
でも、それは一体何を基準に決めてるんだろうね?
それは、人それぞれのの価値観で決めてんじゃねぇかな。
それは、自分の持っている情報で決めてんじゃねぇかな。
そう。つまりその人の主観によって決めてるんだと思う。
『良いや悪い』『美しいや醜い』『正義や悪』
『正しいや間違い』『損得』『快いや不快』『勝ち負け』
こういった日常的に使われている判断は99%、人それぞれのの主観だと思う。
うめぇだ、まじぃだ言ってもそれは全てその人の主観。好みの問題。
その人にとっては、まずくて気に入らない事があったラーメン(お店)でも
違う人にとっては、それが好きなラーメン(お店)なってんだよ。
その人には凄く美味しいと感じるラーメンでも
違う人にとっては美味しくなく感じるラーメンになる場合もあんだよ。
それなのに、自分の主観や好みだけで、自身のブログやSNSに
さも、自分の意見が正しいかの様に世に発信してる奴が、
俺の周りにも数人だけいる。ホントたった2.3人。
そういう奴らって、みんな揃って、テレビで野球を見てて
テレビに向かって『ピッチャー交代させろ!』『アイツを代打に出せ!』
サッカーを見てて『なんであの選手を使わないんだ!』『アイツを交代させろ!』
って、言ってる人と同じ理屈だ。って言うんだよねー
誰だってそうでしょ。的な。
そんで、そういう奴らの共通点って
『俺は間違った事をしてない』『何が悪いの?』『その店の為を思って』
『宣伝してやってる』『美味しいものが食べたいだけ』『正直に書いてるだけ』
なんなら『それがラーメン愛だ』という考え方。
俺、こういう人、大っ嫌い。
ねぇ・・・みんなはどう思う?
正直に書く事が悪い事だとは思わない。
本当にダメな店もあるし、全員が『美味しい』なんて言うなんて事も、ありえないし。
でも読んでて不快になる人が多いのは、なんか問題あんじゃない?
文章に出るよね。その人の人間性が。
そんな奴に『いや、違うぞ、お前』って思って意見しようとすると
それがストレスになったりトラブルになったりするわけ。
だからそんなのにムカついたり、相手にしたりするだけ時間の無駄。
人生のロスタイム。絶対に分かり合えないし、分かり合いたいとも思わない。
俺の中で、愛の反対語は“無関心”。
そんな奴に限ってネット上じゃ偉そうに否定したり能書き垂れてるけど
実社会じゃ、俺の目を見て話せないような人間だから。
そんなのが発信した事を気にしちゃダメ。そんなのに意見求めちゃダメ。
ちなみに1番否定しちゃいけない事は『相手の食』だそうですよ。
相手の好きな食べ物というのは、小さな頃から好んで食べているものがベース。
それを否定されれば、その人自身を否定しているのと同等って事だそうです。
それで育って来たわけだからね。その人がラーメン職人になって、
その人の食の好みで作ったラーメンは、その人の人生そのものって事になる。
って事は、それを否定したら、その人の人生を否定してる事になるんだそうです。
だから、もう一度言うよ。
美味ぇもまじぃも、その人の主観。好みの問題。
『不味い』んじゃなくて、自分の口に合わなかっただけ。
美味しい。不味い。って言うのは自由。でもそれを押し付けたり誘導したり、
貶したり晒したり、全否定するのはカッコ悪い事だと思う。
そういった『ラーメン評論家』も『ラヲタ』も『ブロガー』も
『ユーチューバー』もダメな人はほんの一部。本当に少数。
むしろ俺の周りには良い人が多い。いや、良い人しかいない。
一般のお客さんもそう。良い人もいれば悪い人もいる。
つまりは『ラーメン評論家』だから。とか『ラヲタ』だから。とか、
『ブロガー』だから。とか『ユーチューバー』だから。じゃなくて
その人の人間性だよね。
そんな話をウチの店長Seeにした俺。そんなSeeが仕事終わりに
「写真整理してたら、懐かしい写真が出て来ましたよ」と言って
何枚かの写真を俺に見せて来ました。
その写真は20年以上前にウチでみんなで呑んでた時の懐かしい写真。
そこに写ってたSee・・・
若いね。俺も若いけど。

つか、チャラいね。
その自分の写真を見てSeeが一言。
「俺、こういう人、大っ嫌い。こういう髪形したチャラい奴、大っ嫌い」

お前だよ(笑)
そんな事を言うSeeに
「いや。過去があるから、今があるんだぞ。過去の自分も受け入れなきゃダメだ」と
親方として、人の道を諭す俺。
するとSeeが残りの数枚の写真を俺に見せる。
俺、こういう人、大っ嫌い。

こういう髪形して、くわえタバコで女を膝に乗せてるようなチャラい奴、嫌い。

こういう人、大っ嫌い。
ラーメン評論家を出禁にして裁判沙汰まで発展したとか、
有名ラーメン店がユーチューバーを出禁にした。とかのニュースが世を騒がしてます。
日本には『ラーメンは身近な国民食』『ラーメンは庶民の食べ物』というイメージが
根強く定着してるせいか、世のラーメンを取り巻く環境には
『ラーメン評論家』『ラヲタ』『ブロガー』そして最近では『ユーチューバー』など
色んな種類のお客さんがいます。
こういった方々はインターネットが普及した頃に産まれましたよね。
ラーメンを食べて、写真を撮って、それを情報としてインターネットで
全世界に発信する。今やもう当たり前ですよね。俺の周りにも沢山います。
でも俺ら店側はそんなSNSやブログなんて普及する前から商売してますからね、
最初はなかなかそういった文化に慣れずに、大小問わず、
そういった方々とトラブルになる事もありました。
自分の食べたラーメンを『まずい』と言って、SNSで全世界に投稿する。
『ここがダメ』『あそこがダメ』と自分だけの意見をブログで述べて全世界に投稿する。
従業員やお客さんの顔が写ってる写真を、全世界にそのまま投稿する。
満席の店内で突然アポ無しで来店して、ボソっと「ユーチューブです」
とだけ言って、許可もなく動画を撮影するユーチューバー。
俺が商売始めた23年前には、想像もできない世界になってしまいました。
その行為が『非常識な事』っだって、まだ認識出来てないんでしょうね。
そもそも『美味しいラーメン』の定義ってなんなんスかね?
『不味いラーメン』の定義ってなんなんスかね?
「あそこのラーメン屋美味いよ」「いやいや、あそこは不味い」
そういった会話は日常茶飯事。それはいい。
でも、それは一体何を基準に決めてるんだろうね?
それは、人それぞれのの価値観で決めてんじゃねぇかな。
それは、自分の持っている情報で決めてんじゃねぇかな。
そう。つまりその人の主観によって決めてるんだと思う。
『良いや悪い』『美しいや醜い』『正義や悪』
『正しいや間違い』『損得』『快いや不快』『勝ち負け』
こういった日常的に使われている判断は99%、人それぞれのの主観だと思う。
うめぇだ、まじぃだ言ってもそれは全てその人の主観。好みの問題。
その人にとっては、まずくて気に入らない事があったラーメン(お店)でも
違う人にとっては、それが好きなラーメン(お店)なってんだよ。
その人には凄く美味しいと感じるラーメンでも
違う人にとっては美味しくなく感じるラーメンになる場合もあんだよ。
それなのに、自分の主観や好みだけで、自身のブログやSNSに
さも、自分の意見が正しいかの様に世に発信してる奴が、
俺の周りにも数人だけいる。ホントたった2.3人。
そういう奴らって、みんな揃って、テレビで野球を見てて
テレビに向かって『ピッチャー交代させろ!』『アイツを代打に出せ!』
サッカーを見てて『なんであの選手を使わないんだ!』『アイツを交代させろ!』
って、言ってる人と同じ理屈だ。って言うんだよねー
誰だってそうでしょ。的な。
そんで、そういう奴らの共通点って
『俺は間違った事をしてない』『何が悪いの?』『その店の為を思って』
『宣伝してやってる』『美味しいものが食べたいだけ』『正直に書いてるだけ』
なんなら『それがラーメン愛だ』という考え方。
俺、こういう人、大っ嫌い。
ねぇ・・・みんなはどう思う?
正直に書く事が悪い事だとは思わない。
本当にダメな店もあるし、全員が『美味しい』なんて言うなんて事も、ありえないし。
でも読んでて不快になる人が多いのは、なんか問題あんじゃない?
文章に出るよね。その人の人間性が。
そんな奴に『いや、違うぞ、お前』って思って意見しようとすると
それがストレスになったりトラブルになったりするわけ。
だからそんなのにムカついたり、相手にしたりするだけ時間の無駄。
人生のロスタイム。絶対に分かり合えないし、分かり合いたいとも思わない。
俺の中で、愛の反対語は“無関心”。
そんな奴に限ってネット上じゃ偉そうに否定したり能書き垂れてるけど
実社会じゃ、俺の目を見て話せないような人間だから。
そんなのが発信した事を気にしちゃダメ。そんなのに意見求めちゃダメ。
ちなみに1番否定しちゃいけない事は『相手の食』だそうですよ。
相手の好きな食べ物というのは、小さな頃から好んで食べているものがベース。
それを否定されれば、その人自身を否定しているのと同等って事だそうです。
それで育って来たわけだからね。その人がラーメン職人になって、
その人の食の好みで作ったラーメンは、その人の人生そのものって事になる。
って事は、それを否定したら、その人の人生を否定してる事になるんだそうです。
だから、もう一度言うよ。
美味ぇもまじぃも、その人の主観。好みの問題。
『不味い』んじゃなくて、自分の口に合わなかっただけ。
美味しい。不味い。って言うのは自由。でもそれを押し付けたり誘導したり、
貶したり晒したり、全否定するのはカッコ悪い事だと思う。
そういった『ラーメン評論家』も『ラヲタ』も『ブロガー』も
『ユーチューバー』もダメな人はほんの一部。本当に少数。
むしろ俺の周りには良い人が多い。いや、良い人しかいない。
一般のお客さんもそう。良い人もいれば悪い人もいる。
つまりは『ラーメン評論家』だから。とか『ラヲタ』だから。とか、
『ブロガー』だから。とか『ユーチューバー』だから。じゃなくて
その人の人間性だよね。
そんな話をウチの店長Seeにした俺。そんなSeeが仕事終わりに
「写真整理してたら、懐かしい写真が出て来ましたよ」と言って
何枚かの写真を俺に見せて来ました。
その写真は20年以上前にウチでみんなで呑んでた時の懐かしい写真。
そこに写ってたSee・・・
若いね。俺も若いけど。

つか、チャラいね。
その自分の写真を見てSeeが一言。
「俺、こういう人、大っ嫌い。こういう髪形したチャラい奴、大っ嫌い」

お前だよ(笑)
そんな事を言うSeeに
「いや。過去があるから、今があるんだぞ。過去の自分も受け入れなきゃダメだ」と
親方として、人の道を諭す俺。
するとSeeが残りの数枚の写真を俺に見せる。
俺、こういう人、大っ嫌い。

こういう髪形して、くわえタバコで女を膝に乗せてるようなチャラい奴、嫌い。

こういう人、大っ嫌い。
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